前回の捜査説明(12月1日)での質問等を受け、2010年12月22日に捜査経過報告を受けましたのでご報告いたします。
1.遺体の近くに浮いていた靴のDNA鑑定結果について
靴から微量の皮膚片2ヶが検出されましたが、DNA判定できず祥子のものと断定できませんでした。また、付着していた砂の分析を試みましたが、有力な情報は得られませんでした。
ただ、靴の分析の結果、祥子の物であると断定できませんでしたが、警察は、流れのある川で遺体近くに浮いていたことや、祥子の靴下に残されていた靴の跡などから祥子の所有物である可能性は高いとの見解を示しました。
2.くろかわ診療所の捜査結果について
11月14日未明、診療所のセキュリティーシステムが発動(警報)した際、祥子は、警備会社に連絡すれば警報を解除できることを知っていたにもかかわらず、そのまま放置されていたこと。そして、同日午前中に祥子の行方不明が確認され、16日に遺体で発見されたことから、この場所で何らかの事件に巻き込まれた可能性が非常に高いとして捜査を要請し続けた結果、死後約1年が経過した2010年10月11日に、くろかわ診療所内の捜査(任意)が行われました。
捜査の目的は「事件の痕跡が残されてるかもしれないから」とのことでしたが、結果、事件に関係する新事実は何も発見されませんでした。
私たちは、この捜査結果以前に、1年以上も捜査されなかったこと自体に強い疑問と不信を感じております。
3.祥子の最終の居場所について
警察は、祥子はくろかわ診療所を出た後、自宅アパートから失踪したと説明しました。
私たちは、前項のとおり、くろかわ診療所のセキュリティーシステムが発動した時、祥子が警報を解除できない状態(拉致等)であったか、もしくは事件関係者が発動させたまま逃走した可能性も否めないため、くろかわ診療所で事件に巻き込まれた可能性が高いと主張しましたが、警察は「警報を解除しなかったのは祥子さんが混乱していたからででしょう」と説明しました。
しかし、その状態がいつから発生し、具体的にどのようであったかについては全く説明されません。この点を次回明らかにして頂きます。
祥子の最終の居場所については、私たちは、くろかわ診療所である可能性が高いと考えておりますので、これから更に検討して反論してゆきます。
4.死因と死亡推定時刻について
今まで警察は、死亡推定時刻を、死体検案書の2009年11月14日午前と示しただけで、検死結果や鑑定書、そして捜査から祥子の死亡推定の変更については一切説明してきませんでした。私たちが、警察の立会いのものと、剖検医師に会って更なる説明を受けたいと申し入れても、鑑定書があるからその必要は無いと、要望を受け入れてもらえませんでした。
私たちは、①祥子の遺体発見時の様子、②第一発見者の証言、③検死時の報告、④鑑定書の内容、⑤その他私たちが知りえた情報などから、死亡推定時刻は、死体検案書に示されている時刻とは異なり、15日以降~遺体発見時の数時間前である可能性が高いと結論付けました。以前、剖検医師からも、捜査の結果によっては死亡推定時刻の変更も有りうると説明されました。
私たちは、元東京都監察医務院所長・上野正彦先生より、溺死に至るプロセス及び遺体発見時の状況等からみても自殺の可能性は低く、従って事件性が高いとのご意見を頂きました。
この意見に対して警察は、上野先生は法医学界では著名な方ですが、鑑定書などの詳しい情報を見ておらず、あくまでも一般的な意見であるため、今後、他の法医学者、そして上野先生のご意見を伺いながら検証して行く予定との報告を受けました。
この件につきましては、今後の捜査に大きな影響を及ぼすと考えております。
この1年間、皆様のご支援によって、祥子の死の真相が事件として更に解明されてまいりました。本当にありがとうございます。これからも真相究明に向け、全力を挙げて行きたいと願っておりますので、皆様のご理解とご協力を心よりお願い申し上げます。